そう

   
   嫌いじゃないっていうか、気に入ってんだな。




- - - - 小 さ な 背 中 と 優 し い 温 度



 ぽつんと小さな背中が、廃墟の中で佇んでいる。
 コンクリートの残骸の上に座り込んでいる姿は、決して寂しげではない。
 けれど、潔さを感じる後姿だと、男は思う。

「おーい」

 呼びかけてみれば、年の割りに涼しげな目が、こちらを捕らえる。
 弱々しさとは無縁の、まっすぐな瞳。
 大人びているし、頭の良さも申し分ない。
 だからと言って子どもらしさにやや欠けるかと言えば、そうではない。
 そんなこの少女を、男は嫌いではなかった。

「どした、こんなとこまできて」
「…何となく。ここの風が一番きれいだから」

 また視線を別のほうに向ける。
 そちらを見てみれば、割れたガラスがピカピカと光っているのが見えた。
 あれを見ていたのかと、少女のほうに目を向けてみれば、まだ呆然とそちらを見続けていた。
 白い肌が、夕焼けに染まってオレンジ色になっている。
  柔らかそうな髪が風にふわりと揺れて。

 ――重なる、面影。

 ほんの一瞬、見える――幻。

「どこか、行ってきたの?」
「ん?」
「そんな感じがする」

 唐突に切り出されて、男は面食らう。
 さっき、無駄な話し合い(世間では会議とでもいうのか)に付き合わされてきたばかり。
 別にしたくもないことに参加させられた、というわけだ。
 この少女には、一切何も教えていない。
 自分の様子を見ただけで、それだけわかるのだから大したものだ。
 いつもながら勘のいい子だと、内心舌を巻く。
 だが、表面的にはそれを出さず、いつもどおりのおどけた口調で「まぁね」とだけ言った。

 最近どこもかしこも落ち着かない。
 こんな時世に落ち着くも落ち着かないもありはしないのか。
 いつだってどことなく落ち着かない活気や、多くの不安が溢れている。

― 生きるためにね

 イマイチ男には理解できない感覚。
 無縁と言ったほうがいい感覚。
 生きることにどうしてそこまで旺盛になれるのか、わからない。

 でも、この目の前の少女がこの時代を生き残っていけたらいいと思う。
  死なせたくない…というのは、ガラではないかもしれないが。

「さーて、オレはお薬でも服薬しようかね」

 少女の隣に座りながら、ボソリとそう呟くと、困ったような瞳が自分のほうを見る。
  その瞳の言わんとしている事を悟り、男は片眉をあげて少女の瞳を見返した。

「オレがドラッグやるとでも思ってるわけ?」
「…思ってないけど」
「思ってないけど?」
「最近してる人多いから」
「不安なんだよ、みんな」

  ドラッグに頼って、その場の不安を何とか解消しようとするヤツは決して珍しくない。
  そして、それから離れられなくなる人間も。
  この幼い少女には、その事実がまだ胸に痛いのかもしれない。

「でもオレのドラッグは合法。ホラ」

胸ポケットから、煙草の箱を取り出す。

「非合法じゃないけど、体に悪いのに変わりないね」
「違いなーい」

 笑いながら一本取り出して咥え、火をつける。
 苦い香りが少女に纏わりついた。

「よし、君にもドラッグを分けてしんぜよう」
「煙草吸わないけど」

  即答する少女に、違う違うと笑いながら、もう一度胸ポケットをまさぐった。

「手ェ、出してみ」

 言われるまま手を出せば、ぽとりと落とされるいくつかの小さな包み。

「おばちゃん連中が渡せって持たせてくれたんだ」
「ありがとう」
「ま、礼はおばちゃんたちに」
「うん」

 少しだけ照れくさそうに、包みを解いて一つ口に放り込む。
 人口甘味料の甘味が口に広がるが、何となくそれでも嬉しかった。
 ほんのり浮べた笑顔が、やはり大人びた考え方や瞳の色を持っていても、子どもなんだとわからせる。

 男が正面を向いて煙草を吸っている間に、少女はごそごそと男の後ろに移動して、ぴたりと男の背中に自分の背をつけた。
 急に背中に自分のものとは違う体温が浸透してきて、男は煙草から口を離し、背中のほうを見やる。

「どしたの?」
「別に」

 そっけない言葉に、何となく照れが見て取れる。
 表情は見えないけれど、どんな顔をしているのかはわかる気がする。

 普通の子どものように、甘えたりしない少女の精一杯の甘えなのかもしれない。
 男は少女にわからないように、こっそりと顔だけで笑うと、また煙草を咥えた。
 小さな背中の温度に優しい気持ちになる。

― ガラじゃ、なぃなあ…

 少女もそうだけれど、自分もだ。
  この子と接するときは、どうもいつもの調子が狂う。
 でも、それがイヤでもないのだ。
 緩やかに接触する、優しい過去。
 緩やかに流れる、優しい現在が。

 全くもってガラじゃない。

 内心苦笑するが、それでもいいかと思う。

 もう一本取り出して、ライターで火をつける。
 すかさず「吸いすぎ」と背中から声がかけられた。
 薬のお時間なんですよ、とふざけて言えば「薬だって飲みすぎは良くないけどね」とすかさずツッコミがはいる。
 こんな物言いでも、心配しているのだろう。

― かわいい子だよ、全く

 本心からそう思う。
  ああ、ほんとに

― ガラじゃないなぁ…

 穏やかな、そんなキモチが
  あまりにも自分とそぐわなくて

― なんというか…マイッタ、ね

 苦笑交じりに吐き出した煙が、夕焼けの空にゆるゆると溶けた。






文字書きさんに100のお題
074:合法ドラッグ