《月光》
ぐいっと酒を呷った。 やたら晧々とした、月の光を瞳に入れながら。 「絶景かな絶景かな…ってね。」 ぼそりと独り言を呟く。 赤い髪、すっとした視線…艶やかすぎるほどの容姿を持つ青年が、大きな木の下で一人酒を飲んでいる。 ライヒスリッターで、赤い髪、艶やかな容姿と言えば、風間利之少佐、その人ただ一人である。 頬をなでる風はひんやりとして、ひどく心地がいい。 さわさわと木々を揺らしては通り過ぎて、不快では無い音を奏でる。 この季節ならではのススキが揺れる。 『秋季冷涼』という言葉が、すんなりはまってしまうような日。 月は、満月とまではいかないが、丸みを帯びていた。満月になる日もそう遠くないだろう。 白々と光り、あたりを明るく、美しく、照らす。 春頃に、加納中佐たちとココにきた時には、タンポポという可愛らしい花が、ようやく咲き始めた頃だったのにな、と風間少佐は春頃の事を振り返る。 そう、あの時は、わいわいがやがやと煩いほどで、こんなに静かではなかった。 ―ある意味で、あの時とは対極的だな。 くすり、とその頬に笑みを刻む。 その微笑が、いつもよりも神秘さを含んで見えたのは、果たして月の魔力だったのだろうか? 確かに、この美しい光景を、誰かと共有したいと思わないわけではない。 これだけ美しい夜ならば、誰かと愛でたいものだ。 ―加納中佐は酒が飲めないって言うのがなぁ…。 ふっと、金髪の青年の顔を思い浮かべて、風間少佐は苦笑した。 真面目すぎるくらいの、青年と言うよりは、まだ少年の笑い方をする自分の上官を。 酒が苦手だと、常々聞いていたので、こういう場に誘うのはやめている。 しかも、ここのところの激務で、「ははっ、大丈夫だったりして〜」と、言語に障害すら生じてきたように感じたのは、風間少佐だけだったのか…どうなのか…。 秋山少佐と、倉橋中尉の顔が、ほんのり青かったのは気のせいではあるまい。 その時の加納中佐の様子を思い出して、風間少佐はこめかみに手を当てた。 目が虚ろで、生気が無かった…と後に自分はきっと語るのだろう。 とにかくフラフラしていたので、酒が飲めても今回は誘うことはしなかっただろう。 秋山少佐も、長沢大尉もきっともう寝ているだろうし、まさか元帥を誘うわけにもいかず…。 結局は一人で呑む羽目になるのだ、いつも。 月によって、銀色に染められた猪口の中の液体を、もう一度呷る。 こうやって酒を飲めるのが、たまにいつまで続くのだろうかと考える時がある。 いつ命を落とすかなんて、誰にもわからない。 あっけなく、いつか月を見ることも、酒を飲むことも叶わなくなる日が来るのかもしれない。 それすら『運命』だと、誰かは言うだろうか? ―構わないさ、それでも。 深く息を吐き出して、瞳を閉じる。 視界の全てを遮って、一人の人を思い浮かべる。そして、これから先の自分を浮かべる。 これから何があろうと、きっと、自分はこのまま進んでいくのだろう。 あの人を道しるべとして。 自分を導く確かな存在だから。 以前、酔った定光寺中将が、ボソリと言ったことがある。 『あの人は、光なんだ。』 ああ、なんてその通りなんだろうかと。 確かに一言で、簡潔ではあるのだけれども。 なんて正確に…的確すぎるほどに、眩しく揺らめく、その存在を言いあらわした言葉なんだろうと。 想い出す。 迷うことを許さない、何もかもを確信した確かな足取りで、彼は歩く。 瞳の先に、何もかもを見据えて。 力強い言葉で、『未来』への扉を開く。 彼は前を見渡す。確かな道を歩く。 鋭い瞳で、何者にも屈しない強さを、携えて。 射抜かれるような、そんな存在であると、改めて認識するのだ。 いつも、突然に。 そんなことを考えてから、うっすらと瞳を開けると、急激とはいわないが、月の光が瞳の中に流れ込んでくる。 それすらもあの人のようだと思う自分は、どうかしているのだろうか? そんな中、フワリと視界の片隅で、白いものが飛んだ。 「蝶…?」 思わず指を差し出すと、蝶が指に止まった。 輝いているように白くて、小さな…小さな蝶が。 この時期には、もう死に絶えていくのであろう蝶。 それがこんな夜更けに自分の指に止まっている事実を、いぶかしく思う。 儚い命を振り絞って飛ぶ季節であるはずなのに。 生きることに、必死に思えるのに。 無駄に飛んで、命を削っているように、そんな風に思えた。 どうしてその短い命、尽きるまで飛ぼうとするのか? そう考えて、はたとやめた。 生きることに、あがく…何がいけないだろうか? 命を削って、羽ばたく事に何のためらいがある? 蝶の羽が動いた。羽ばたこうとでもしているのか。 それを感じ取って、風間少佐は微笑むと、まっすぐに指を伸ばした。 やがて、小さくとも、力強い羽ばたきが生まれる。 それは迷うことなどなく、自分の行き先を知っている、確かな羽ばたきで。 蝶は月に向かって飛んでいく。 道しるべはあの光だ、と言わんばかりに。 そう、鮮やかな光を、求めて。 自分の光があの人であるならば、それでいい。 命を落としても、その光にはそれほどのものがある。 迷うことも無い。 自分にとってそれは確かなものだから。 なみなみと、銀色の液体を猪口に注ぐと、その手を月に掲げる。 ぐいっと酒を呷った。 やたら晧々とした、月の光を瞳に入れながら。 |