呼びかける声 呼びかけた声 失ったものは多かった。 確かに存在していたものは何だったのか C - 5 6 ふぅ、と目が醒める。 いつからか、深い眠りとあまり縁が無くなった。 ほぼ常に浅い眠り。 それは職業柄必要なものでもある。 ヒサキは起き上がり、ベッドから降りる。 カーテンを開けると、白い光が部屋の中に飛び込んできて、目を眩ました。 目が慣れてくると、そこに広がる光景は、いつも無機質な機械都市。 最上階のせいもあり、聳え立つ隙間から遠くに見えるのは、旧都市の残骸。 このいつもの光景が、時々何とも言えない気分になる。 微かに息を吐き出したとき、キャビネットの上の通信機器が音を発した。 近寄ってみれば、画面に映し出される名前は、見覚えがありすぎるほどの名前。 ― 朝から何の用なんだか…。 そう思いながらも会話用のボタンを人差し指で押すと、画面に『SOUND ONLY』の文字が表示される。 「…はい」 『よぉ。』 当たり前のように聞こえてくる、明るい男の声。 「おはよう」 『おはよう。寝てたか?声が寝起きだな』 「いや、さっき起きた」 『今日はオレのほうが早起きさ〜ん♪』 機械の向こう越しにふざける男の姿を想像して、つい久埼は苦笑する。 夜勤だったくせに早起きも何もあったものではないだろうに。 それでもテンションの高いこの男は久埼には到底たどり着けないところにいるような気もする。 しかしこのままでも話は進まない。 それで早起きしてどうしたんだ、サエキ…と苦笑を押し殺して続けた。 『これがまたさぁ、めんどくさいことにねえ、特別起動部一番隊・二番隊各隊長に命令出ましたぜ、姐さん』 苦笑を含んだ声。 確かに自分達は軍隊に属しているから、命令が下されれば動くしかないし、拒むことは許されないのは暗黙の了解だ。それを承知でそこにいる。 しかしこの男は出動命令を『嫌がっている』と言うよりも『嫌っている』。 自分だって、出動命令は嫌いに違いないのだが。 軍隊の中には、出動することが当たり前で、それを自分の使命のように感じる連中や、血に餓えたりする人間もいる。 不謹慎と言えばそうだが、それでもこの男はその中で至極まともだ。 佐伯のそれは人の死を厭っている、ということだからだ。 奇麗事だとはわかっていても。 久埼はそれを知っている。 『本日10時、2部隊でC-56地区に向かえ、だとよ』 その後、ドンパチじゃなくて、偵察なだけマシだなと溜息をつきながら言う佐伯に、そうだな、とだけ反応を返す。 『全隊員集合命令はもうかけたから、オマエはゆっくり来いよ』 不意にふざけたものから柔らかくなる声。 驚きで久埼の目が微かに見開いた。 何かを言おうとは思ったのだが、後ろで男の名を呼ぶ声がすると「悪ィ、じゃあな」と通信は切れてしまう。 ここのところの書類雑務に追われていた久埼への気使いなのだろう。 仕事に追われているのは自分も同じなのに、相手のことを気遣えるこの男に、久埼は時折何とも言えない気持ちになる。 優しい人間なのだ、佐伯は。 ― C-56… 頭の中で、その地区の名を反芻する。 嫌な、場所だ。 窓辺に近づいて、外を見る。 遠くに見える砂漠。 ほんの少し…うっすらと覗く…廃墟。 あの場所で起こったこと。 忘れてしまいたいけれど忘れられぬ過去。 痛みには慣れてしまったのに、未だに慣れてしまわぬ光景。 久埼は、窓の向こうを睨みつける。 ― C-56…か。 呼びかける声。 呼びかけた声。 失ったものは多かった。 確かに存在していたものは何だったのか。 全て忘れ去られてしまうような、そんな儚さも含めて。 この痛みには慣れたのに この光景だけ どうして ? この大嫌いな風景を目にして、自分は呼吸をまだしているのだと思い知らされて。 生き抜いてやると誓った、あの場所だから。 しかし、それでも失ったものは多かったし、大きかったのだ。 最後の光景が、どうしてもちらついて 記憶の中の光景にも、まだ慣れることは、ない ― 大概しつこい…か? 椅子にかけた軍服を握り締める。 生き抜く術は、いつだって自分が一番良く知っている。 慣れるわけじゃないのかもしれない。 けれども慣れてしまえと己に呼びかける。 心にあるものを振り払うかのように、久埼はその窓の光景に背を向けた 存在していた確かなものは、己の心の中にしかないのだから。 慣 れ て し ま え |
長いお題1 「慣れてしまった痛み 慣れてしまわぬ光景」 |
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