メランコリーサンセットグラウンド

「なぁ」

 力の抜けた声が自分を呼ぶ。
 そちらを見もせずに、「ふん」だか「うん」だか判らない、生返事をした。
 相手だって、自分のほうなど見てはいないのも判りきっているからだ。

「寒いなあ」

 部室の前のベンチに腰掛けて、視線だけそちらへやる。
 だったらさっさと帰ればいいじゃないか。そう言ってやろうと思ったのに。
 発言の張本人はといえば、マフラーに口元を埋めて、ダッフルコートのポケットに手を突っ込んだたまま、さして面白くもなさそうにこちらを見もしない。
 正面へと、視線を向けたまま。

 何だか、言う気が失せた。

 視線の先の校庭には既に誰もいなくて、夕焼けが鮮やかなオレンジで視界を染めていた。
 もうすぐ入試だから、と染め直された髪は夕日の光を通しもせず、不自然に黒い。
 まるで光を塗ったくったかのようなオレンジが、その髪に上乗せされている。

― そう言えばこいつの髪の毛、一週間前まで金髪に近かったね

 いくら校則が緩いからと言って、入試2〜3週間前まで金髪というのも、中々チャレンジャーなような気も彼にはしている。
 生活指導の教員に何度も捕まりながら、のらりくらりとかわして、結局三年生ギリギリまでその髪の色で通してしまったのだから、意志が強いといえばそうなのかもしれない。

「何か学校じゃないみたいだな」
「そだね」
「部活も引退したんだよな」
「5〜6ヶ月も前になぁ」
「そうだな」
「うん」

 ぼんやりと力のない声。
 のらりくらりと覇気がないのはいつものことだが、それにしたってぼんやりしすぎだ。

「何か考えてんの?」
「んあー?」
「ぼけっとしすぎ」

 色のせいか、不自然に作り物めいて見える髪の間から、のろりと視線がこちらを向いた。
 何となく、寂しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。
 自分もコートに突っ込んでいた手を引っ張り出すと、彼の頭をポンポンと撫でてやる。

「あと、1ヶ月もないのな。ガッコに来るの」

 噛み締めるように、そっと白い息と一緒に吐き出された言葉は、小さくて。
 ゆっくりゆっくり、空気に溶ける白い息よりゆっくりと、自分の耳から体に浸透する。

 そうだ―

 2年半通い詰めたこの部室も。
 今座っているベンチも。
 40個机が並んだ教室も。
 二人がコートの下に着ているブレザーも。

 今ココで話している全ても。

 もうすぐどうなるか判らない、新しい未来の下に敷き詰められていくのだ。
 いつだか古ぼけた、過去になるのだろう。この瞬間さえ。

「…忘れたく、ねえなあ」

 ぽつり、呟かれた一言。
 少しだけ、追い詰められたみたいなそんな一言が、蓋をしてきた気持ちにずぶりと刺さって。
 ほんの少し――鼻の奥が痛い。

― 寒いからだ

 簡単なこととか、大切なこととか、なかったみたいに忘れてしまうのかもしれない。
 どうしたって今より大人になってしまう。
 そうなったら、ココに溢れている色も音も、古ぼけた写真みたいに褪せてしまったものを、ふと気付いたときに手にとって、酷く愕然とさせられるのだろうか。

「どうなるんだろーな…」
「さぁなぁ…」

 それ以上どうとも言えなくて、お互いに、ただお互いの存在を、半身で感じ取るだけ。
 段々と影の伸びる校庭から離れられなくて、黙ったまま。
 ああ、もうすぐ向こうから夜がやってくるのに。

 なぁ、と幾分か掠れた声が、またぼんやりと自分を呼んだ。
 また「うん」とも「ふん」ともつかない声で、返事をする。

「キス、しよかー」

 至極当り前のように、ぼんやりと呟かれた言葉。
 別段驚くこともなく、ちろりと視線をまたそちらに向けた。
 座ってから変わることのない姿勢。
 視線の先には、忍びくる夜。
 なんだか、大事な日々が夜を越すごとに終わるのが悔しくて、仕方がなくなってくる。
 今この瞬間も、全部全部心に留めたいと、何故だか強く思った。
 だから――だからわざと小馬鹿にしたようにフン、と鼻を鳴らして、空気を壊す。

「オレのこと好きなの?オマエ」
「友達としてなー。大好きよ」
「そか。オレもだわ」
「おう」
「しかしオレは女の子としたいから、辞退しとく」
「それを聞いてホッとした」
「いっぺん頭割ったろか、オマエ」

 一瞬の沈黙の後。どちらともなく、ブッと笑う。

「キモイ、発言が」
「うっせ。本気にしたろ、オマエも」
「するか、バカヤロウ」

 変質して、変色して。
 いつかこの指先から、何もかも零れてしまうかもしれない。
 だけど自分たちには、この夕日の色すら、ずっと留めておけないから。

 この肌に、紅い色を焼き付けて。
 この瞳に、紅い色を焼き付けて。
 頭の中に、紅い色を焼き付けて。

 鮮やかなまま

 いつかその色が、鮮やか過ぎて、愛しすぎて

 どうしようもなく心を抉って、自分たちを泣かせる日が来れば、いい