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――多分、ただ泣いてしまうほうが、ずっとずっと簡単だったんだ。 数歩前を無言で行く背中を、ただ、見る。 手を伸ばせば簡単に届くのに、手を伸ばしたって届かないのは何でだ。 風に吹かれた髪が揺れている。 晒された首筋は、何だか酷く、頼りなげで。 声をかければいいのに。そうするべきなのに。 そしたら、きっと、太陽みたいに笑ってくれる。 そうできないのは、どうして? 躊躇ったままでいた言葉達が、喉の奥に引っかかって。 塊は、大きくなりすぎて出てこれない。 影は、伸びていく。 それはまるで、距離を伸ばすかのように、残酷に。 泣き出したい。目の前の背中はそう言っているのに、どうして手が伸ばせない。 伸ばしてしまえば、哀しい心が溶けると知っているのに。 笑わせるには、ただ名前を読んで振向かせて。それだけでいい。 でも、できずにいる。 たったそれだけのことで、戻れなくなるかもしれないと、知っているからだ。 ああきっと、今、自分も泣き出したい。 距離を埋める方法は知っているのに、それを手に取れない。 ただ、ごめんと壊れそうな胸の奥底で思うだけ。 埋まった距離はきっと、前とは違うから、それが怖い。 見も知らない自分になってしまうんじゃないかって、それが怖い。 聞こえないように、風の中でその名前を小さく呟いた。 風に攫われて、聞こえないと思ったのに。 小さく肩を揺らして止められた足を見て、ああ、とまるで追い詰められるように、そう思った。 もう遅い。スタートラインは既に踏み込えてしまったんだ。 恐る恐る振り返った瞳は、微かに泣きそうで。 喉の奥の塊は、まだ出てこない。口が、乾いている。目を、逸らしたい。 何でもない。そう言って流してしまえば、何事もなかったかのように、この空間が終わるのかもしれないのに。呼んだだけかって、笑ってくれるかもしれないのに。 そうできない時点で、もう後戻りは、できない。 だから――多分、ただ泣いてしまうほうがずっとずっと簡単だったんだ。 千切れた空から、光が伸びている。 |