二人で入った傘は、当り前だけれど、少し小さい。
何度も何度も、雫が傘に弾けては、その上で軽快なステップを踏む。
水溜りを車が踏み潰す。
ジャジャ、シャ、ババ。
その度にアスファルトが、水溜りの不満と不毛なコーラスをした。
雨の匂い。土の匂い。
隣から伝ってくる、温かなお互いの匂い。
会話は無いけれど、そこにあるのは穏やかな空気。
ユトの隣は、何だか空気が違う。
彼女はベタベタしたりしない、媚びたりしない。
どんなことでも、当り前のことだと受け止められてしまうような広さがあって。
今までのように、どんなに上手く繕ったって、すぐに見破られてしまう。
驚くほど真っ直ぐな心。
真っ直ぐで、しなやかだ。
ミナミはチラリと横を見た。
視界に飛び込んでくるのは、清冽な泉のような横顔。
「ハルカ」
名前を呼べば、思いのほか掠れた声。ユトはあまり気にしなかったらしい。
ただ、ゆっくりと真っ直ぐな目で、コチラを見返した。
「チハヤとカイ、試合どうだったかな」
「ちーちゃんの試合、中止になっていそうな気もする」
出番が遅そうなんだよね。そう柔らかな苦笑を浮べながら、彼女は暗い海のような空を見上げた。
ただ見上げているだけなのか。それとも自分の分身とも言える、同じ空の下にいる彼を思っているのか。
ミナミは少し、目線の先が気になった。
何故だかは、よく判らない。
だからなのか。知らず口から言葉が飛び出した
「試合してたら――」
半分以上言ってしまってから、躊躇って、口を噤む。
空へと向けられていた視線は、明らかに自分だけを捕らえて。
それはゆったりとした光を湛えて、柔らかな――
「…勝ったと思う?」
何故か飲み下しそうだった言葉を、ゆっくりと吐き出した。
今度は濡れた地に目線を送って、苦笑とは違う温かい笑顔。
「――うん」
至極当り前のように、それが当然であると知っているような肯定。
そのあと彼女は、またゆっくりを視線を動かして「紫陽花キレイだね」と雨に濡れた薄い青紫の紫陽花を見て微笑んだ。
ミナミは決して押し付けられているわけではない信頼が、その一言に溢れているような気がした。
しっとりとした、雨音のように。
それはひどく穏やかな――当り前に存在する愛情。
「いいなぁ」
思わず言ってしまえば、驚いて見開かれた目が、自分を凝視する。
ピタリ。その足は止まって。
ミナミの足は2、3歩止まらなかったから、彼女は傘からはみ出してしまっていた。
慌てて戻って、傘を差し出す。
「どうしたの?」
「…ううん」
呆然と首を振って、目を丸くして自分をしばらく凝視していた顔が、ゆっくりと綻んで――花を咲かせた。
艶やかというよりも、清冽な…あの紫陽花のように。
シンプルで、だからこそキレイで。とても、キレイで。
何だか、ワケも無く気恥ずかしくなって「行こう」と促して、歩き出した。
「ミナミ」
「…んー?」
「時間大丈夫なら、ご飯食べて帰らない?」
咲いた花が、まあるくまあるく空気を作るから。
「――うん」
自分にだって自然に笑うことが、できるんだと思った。
「あ。ほっぺ水ついてるよ」
手が、頬へ伸ばされる。
たら、った、たた、ぱ、ぱぱ
傘の上で踊る雫たち。
ジャジャ、シャ、ババ。
触れた温度はとても、あまりにも――柔らかくて。
とても不思議な気持ちになった。
一瞬、アスファルトの泣き声も、水の愚痴の声も、聞こえないくらいに。
駅までの道のりが、もう少し続けばいいと、そう、思った。
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